春日部市歩こう会
入谷~浅草下町散策ウォーキング(台東区)
2023(R05)年09月26日(火)

8月は夏の暑さを避け休会、故に、ほぼ2ヶ月弱の行事再開でした。
今年は猛暑日の連続だったので、休会は正解であった気がします。

今日は若干秋の気配を感じる爽やかな晴れ。
浅草方面へ出掛ける機会は年に数回ありますが、浅草よりも手前の入谷駅でわざわざ途中下車してまで下町を散策するとはありませんでした。

その意味で、下町の神社巡りを主体にしたウオーキングは楽しみにしていましたが、コースに組み込まれていながら越谷久伊豆神社参拝をスキップした前回同様、今回もコースにあった浅草寺は前を通るだけで終わってしまったのは残念でした。


集合場所:北千住駅(地下鉄日比谷線ホーム)
集合時間:午前08時45分
行  程:約5km
参 加 者: 59名



 日比谷線北千住駅 9:51    日比谷線入谷駅下車 10:09
  

北千住駅で日比谷線に乗り入谷駅で下車。
近くの小野照崎神社へ。


10:01   小野照崎神社着   10:01
  

小野照崎神社は、東京下町の小野篁公・菅原道真公をお祀りする神社で、芸能・学問・仕事の充実が御神徳の神様として崇められている神社。


  小野照崎神社 拝殿

こちらには、庚申塚がありました。



帰宅してから、当神社の HP を読ませていただいたところ、説明によれば、

本大阪の「大阪四天王寺 庚申堂」、京都の「大黒山金剛寺 庚申堂」と共に「日本三大庚申」と呼ばれ崇敬を集めていた「喜宝院 入谷庚申堂」から遷祀され、道案内の神として信仰を集めた「猿田彦命」をお祀りした庚申塚。
全十一基の塔のうち、最古のものは1647年(正保2年)につくられました。
また、台座に「見ざる・聞かざる・云わざる」の三猿の像が掘られた青面金剛の塔は、聖徳太子作といわれる大阪四天王寺にある霊像を模造したものと伝えられています。

と当神社のHPに書かれてありました。

柵があり庚申塚の中には入れないので、陰に隠れている庚申塔もあるのかも知れませんが、「全十一基」とありますが、残念ながら9基しか見つかりませんでした。
更に「最古のものは1647(正保2年)」とありますが、私の手持ち資料によりますと、正保2年は1645となります。故に何かの間違いではないかと素人の私は考えています。


    富士塚入口           「富士塚」説明板(拡大)

庚申塚に加えて、こちらの神社にも富士塚がありました。
天明2年(1782)に築かれた富士塚で「下谷坂本富士」と呼ばれている由。
富士山に誰もが行けるわけではなかった時代、その霊験あらたかな姿を伝えるべく作られた富士山の大きさは直径約15m、高さ約6mのミニチュアだそうてす。


  富士塚

参拝・見学を終え出発。


                    出発  10:26

石稲荷神社前を通り、根岸公園で休憩。


石稲荷神社(通過) 10:40       根岸公園着  10:42

根岸公園で20分足らずの休憩をして出発。三島神社訪問。


根岸公園出発 11:00         三島神社着 11:02  



三島神社 11:02


三島神社 拝殿

雷を封じ込めたため雷が落ちなくなったと伝わる「雷の井戸」が境内にあります。

「雷の井戸」

「雷の井戸」の伝承から、三島神社はあらゆる「落ちない」御神徳で知られ、試験・業績・人気・運気などあらゆる「落ちない」を守護する「不落守」を求める参拝者が多いとのこと。


火除稲荷社               社務所

お稲荷様が鎮座していました。
この地はもともと火除地(防火用の空地)であり、古くは「御先稲荷(みさきいなり)」と称された稲荷であった由ですが、その後に火除地として整備されたため「火除稲荷」と称されているとのこと。

     槁の木(献木)                 三島神社 11:10

三島神社の参拝・見学を終え、次の足立区立一葉記念館へ向かう。

      途中  11:12           区立一葉記念館着 11:26



区立一葉記念館入口              館内展示場


一葉(奈津) 木目込み人形

一葉自筆の「にごりえ」未定稿            「にごりえ」舞台模型

館内には、樋口一葉の家族紹介や小・中学校の卒業証書、一葉が暮らした当時(明治26年頃)の下谷龍泉寺町家並みの再現模型など数々の品が展示されていました。

一葉記念館出発 12:00   展示室内 12:08

一葉記念館の見学を終え、次は鷲(おおとり)神社へ。

長国寺 12:08

長国寺の脇を通り鷲神社着。




お鷲(おとり)神社 着 12:10

「酉の市」でおなじみの浅草のおとりさま、鷲神社です。
詳しくは次の写真をクリックして説明をお読み下さい。


「鷲神社」の説明板(拡大)


「酉の市」の起源発祥地とされ、毎年11月の酉の日に開催される「酉の市(とりのいち)」は、境内には屋台が並び、幸せを掻き込む縁起物の熊手を求める人で賑わう様子がテレビで良く放映されるので皆さん良くご存知の神社です。

開運・商売繁昌のお守りである熊手御守は、午前零時を期して打ち鳴らされる一番太鼓と共に授与され、一番先に熊手御守を受けた人には、「一番札」として神社の金小判が授けられるとか。


参拝                     拝殿

境内の様子を見学。



吐鷲              俳人其角の句碑


     俳人正岡子規の句碑           樋口一葉の玉梓之碑

鷲神社の参拝と見学を終え、区立花園公園へ。



鷲神社出発 12:22          区立花園公園着 12:25

区立花園公園で食事タイムに歩数計をチェックしてみましたら、今日ここまでの歩数は7,564歩。それ程ウオーキングしていませんでした。


区立花園公園

この公園で仲間と遅い昼食を摂りながら談笑していると時間はあっという間に過ぎ集合となり出発。




花園公園出発 13:13        吉原弁財天着  13:19

関東大震災で被災し息絶えた遊女たちを弔う神社、吉原弁財天を参拝・見学をしました。


吉原弁財天の碑

10年毎の年忌碑が建てられていました。


  関東大震災八十周年碑          関東大震災九十周年忌と百周年忌碑

かってはここに弁天様を祭る廓(くるわ)の池があり、関東大震災が起きた日、大正12年(1923)9月1日、に猛火の中を大門に背を向け逃げた遊女は、この池に次々と飛び込み、折り重なって息絶えたとのこと。


吉原観音像                 観音像
                     新吉原藝鼓組合・新吉原料亭組合建立

池は戦後の再開発で埋められた池の名残を境内にとどめるだけとなっていますが、悲劇の3年後の大正15年に遊女らを悼んで吉原観音が建立されたとか。


今年の9月1日に「関東大震災100年慰霊式」を行うに当たり吉原神社の壁に張り紙で建物の老朽化に伴う修理費等の寄付(1口5,000円)を呼び掛けていました。
既に9月1日は過ぎていますが、張り紙が残っていることから推測し寄付は目標額に達してはいなかったのでしょうかね。
しかし、上の百周年忌碑は新しく、社の装いも綺麗に塗り替えられているようなので取り敢えず改修は出来たのかも知れません。


花吉原名残碑            観世音菩薩(中央)

上の花吉原名残碑の写真をクリックすると、江戸時代に公認された郭が昭和33年「売春防止法」が施行されるまでの歴史、「元吉原」「新吉原」の説明がお読みいただけます。


千手観音                   蛇塚  

狭い境内には、関東大震災で池に飛び込んだものの焼死したという650人もの人を弔う数多の碑等を見学することにより、改めて震災の恐ろしさを感じました。


吉原弁財天 出発 13:24        浅草ひさご通り(右ゲート) 13:37

吉原弁財天を出発し、浅草寺へ。


浅草ひさご通り 13:40       花やしき通り 13:43


花やしき通り 14:43

外国人を含む結構観光客で賑わう浅草ひさご通り・花やしき通りを通り抜け浅草寺本殿前に着きました。


13:49      浅草寺本殿     13:49

しかし、浅草寺を参拝することなく前を単に素通りして二天門を行ってしまいました。


二天門 13:50


二天門左右の仁王様 13:51



二天門 13:51            東武線浅草駅着 13:56

門を潜り、商店街を通って浅草駅着、そして解散となりました。

「浅草寺参拝希望者は、戻って自由にお参りを」とのことでしたが、歩き疲れた会員の何人がわざわざ5分も歩き戻って参拝したことやら。多分ゼロだったでしょう。

折角浅草寺まできたのだから、5分でも10分でも参拝時間を割いてくれれば良いのに・・・と残念がる会員は私だけではなかったようでした。

この日の総歩数は12,564歩。程良いウオーキングとなりました。







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